GW飯豊縦走、私は飯豊初めて、親分も40年前に1度行っただけ、分からないことだらけ。夜行バスを含めれば4泊4日、社会人には簡単ではない日程だけど、明るく前向きなコトブーさん、歩荷力抜群との呼び声高いガンスーさんの参加を得られて素直に嬉しい。

初日、7時30分頃に大日杉登山口。最初っから急登の懺悔坂、4日分の食料や雪山装備が重い。ガンスーさんには余裕がありそう。

イワイチョウやムラサキヤシオ、カタクリが綺麗。その後は雪が増える中、兎に角、登り続ける。地蔵岳あたりから列をなすダテカンバが雪と青空に映えて居る、雪の不思議な縦模様に感嘆の声をあげたりしながら、想定とおり16時過ぎに切合小屋に到着、1階部分貸切り。

ソンシー以外のメンバーはちゃんとお酒を持参してい
、水づくりをしながらご相伴にあずかった。国立公園エリアに入る前に親分中心に採取したつくし、コシアブラといった山菜を茹でる、うまい。19時頃に就寝。

 

二日目、3時起床4時半出発。朝焼けが美しい。寒くはないが夜中からの強い風が吹いていた。しばらくして本山小屋、まだ管理人不在でバッヂは買えない、残念。飯豊本山まで登ると、最高峰の大日岳はもちろん、飯豊山地の真ん中あたりに位置する烏帽子岳や北俣岳が見えた。朳差岳はそれらの向こう側に隠れてまだ見えない。飯豊はでっかいで。ここから御西小屋までゆるやか好展望の稜線歩き、ここは天国か。大日岳はスルーしたので今日は楽かと思いきやそうはならなかった。御西小屋から先、風はとっくに凪いで太陽が上からも下らからもジリジリ、地味な起伏にペースがあがらない。ロングの休憩を何度かとっているうちに、雪形が何に見えるか大会となった。16時頃に梅花皮小屋到着。石転び沢を詰め上がる場所にあり小屋は混雑、テントを使った。水場があり水を好きなだけ使えた、ありがたいし美味いし。夕食時、ここまでパーフェクトな活躍をしてきたガンスーさんの顔が真っ赤、日焼け止めを塗っていなかったとのこと。虫除けのハッカとか気の利いたアイテム豊富コトブーさんからのメンタムでケア。19時頃に就寝。


三日目、夜中から風が強くてテントが揺れていたが、チームワークよくテント撤収。3時30分頃起床4時45分頃出発。直後に北俣岳南の急な斜面を全員坪足で登朝から達成感。日程全般を通じて、どこは夏道を使いどこは雪上を歩きどこは藪をこぐか、判断が難しい。雪上のクラックとかの為、戻ってルートを取り直すことも1回2回ではない。明らかに危険な斜面上をソンシーが進んでしまったこともあった(親分の冷静な視野の広い判断が流石だった)。雄大な山並み、雄大な谷、残雪の斜面、すべてが美しい。今日もピーカンの凪ぎ、喉ではなく口が乾くピークをいくつ超えただろう。ようやく飯豊北部まで視界がひらける、やはり雄大だ更にピークをいくつか越え朳差小屋直下の雪でまったり水をつくって貸切の小屋内へ。食事の途中、さっそく船こぐ親分を残し三人で徒歩数分の朳差岳山頂へ。夕日は雲に隠れ気味だったが、日本海や新潟平野の文明の明かりを望む。明日には文明復帰できる、嬉しいとソンシー。下山が寂しい、まだ山にいたいとコトブーさん。一眼で写真を撮るガンスーさん。その後はなぜか書籍、アニメ、漫画の話題が暗くなった朳差岳に響いた。19時ころに就寝。

 

最終日、3時起床4時半出発。皆山頂に最後の集合写真。今日も風が強い雪斜面を降りはじめてすぐ、間違った尾根を下るソンシーのミス、登り返しがつらい。その後、もう雪も終わりかなと思ってからが核心部、固雪斜面をツボ足バックステップで降りては夏道復帰場所探しを繰り返。合間には初日に続いて草花愛で、およげたいやきくんを歌い盛り上がる。気づけば予定より3時間遅れ。カモス峰からの急坂からはペースアップ、雪靴での木の根・岩まじりの急坂下りはきつかった。最後、東俣第2橋まで降りきってからさらに上り返してまた下った(こが一番つらかったと親分)1の林道終点地点で河原に降りて休憩後、延々と林道を親分を筆頭に山菜をとりながら歩く。ソンシーは余裕なくひたすら歩く。途中の水場でようやく喉を潤して、大石ダム14時頃下山。歩きとおして満足。温泉最高、自販機最高、ソフト&お蕎麦最高、居酒屋最高、そして、飯豊山地、最高でした。

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人でテントを担ぎ続けてくれたガンスーさん、明るい雰囲気を作り続けたコトブーさん、さすがの対応を自然体で示し続けた親分、本当にありがとうございました。思い出に残る山行になりました。

飯豊連峰(大日杉~飯豊山~北股岳~朳差岳) 2024.5 やまづと