〇記憶に残る1日
県庁生活で一番心に残っている1日と言えば、平成7年1月18 日です。入庁8年目、地方課(今の市町振興課)勤務でした。阪神淡路大震災が起きた当日はあらゆる交通機関が止まり、自宅から近い姫路総合庁舎にとりあえず駆けつけたものの、テレビの前で固唾を飲んで被災状況を見つめていただけでした。
出勤しても、下っ端の自分に出来ることはほとんどないと分かっていても、それでもなんとかして職場に行かなきゃと、翌日、どっさり食料品を買い込んで、近所の3人で乗り合わせて本庁を目指しました。
道路事情もめちゃくちゃで加古川から三木を通って、最後は鵯台のあたりから本庁舎に辿り着いたと思います。
テレビの画面では確認していましたが、実際に本庁舎がちゃんとそこにあって、ホッとしたのを覚えています。そして、ひとり又ひとりと登庁してきては、「おー、無事やったか」とそのたびに握手なんかして、肩を叩き合って再会を喜びあいました。
電気も水道もガスも止まり、部屋の中は椅子、ロッカーがぶっ飛んで足の踏み場もないほどぐじゃぐじゃになった建物なのに、そこが自分の行くべき場所で、いるべき場所で、行けばみんながいて、一緒に頑張らなきゃと、なんの迷いもなく思えた自分の居場所です。
そして、「さぁて、とりあえずみんなで部屋を片付けよかぁ~」という掛け声のもと、まるで何かの罰ゲームをやらされているかのように、「なんやこれ~、勘弁して欲しいわ~!」とヤケクソになりながらもみんな必死で片付け作業をしたのを覚えています。自分の県庁人生はそこから、その場所から本当の意味でスタートしたんだと思います。
下っ端だった自分にとって、兵庫県という組織を身近に感じた瞬間でした。
その日から29 年、ほんとに色んなことがありました。でも、いい思い出がたくさん。兵庫県で仕事が出来てよかったです。お世話になった方々に感謝感謝です。
〇おわりに
このメッセージ欄は一般県民の皆さんの読者もいらっしゃるようですが、一方で、県職員の中にも何人かの愛読者がいるようです。自分は間もなく、県を退職します(予定)が、これから県を支えていく後輩の皆さんに最後に伝えておきたいことを書いておきます。
我々は公務員です。仕事は県民の皆さんのためにするものです。自分のために、自分の栄達のために、仕事をしてはいけない、仕事を利用してはいけない、県民を利用してはいけない。そして、自分の損得勘定で行動してはいけない、人を選別してはいけない。昇任、出世は結果であって、それを目的にしてはいけない。
仕事は楽しく。そのためには一生懸命、しんどいことも沢山あります。楽しい=楽(らく)では決してないです。でも、乗り越えた先にはきっと何かが待っているはず。
これからいろいろな人生経験をすると思います。病気などで働きたくても働けないという経験もするかも知れません。でも「公務員として働きたい」という気持ちは持ち続けてほしい。初心を忘れないで欲しいです。
「働きたい」ということと「お金がほしい」ということは同じようで違います。生業としての公務員の側面を否定はしませんが、「給料が貰えるなら、仕事は二の次、三の次」という気持ちにすり替っては自分自身も周りの人達も悲しすぎます。
同僚や上司、部下はもちろん、関りを持った人達から「あなたと一緒に仕事が出来てよかった」、「また一緒に仕事をしましょう」と言ってもらえる職員であって欲しいです。
自分自身の県庁人生は胸を張って威張れるものでは全然無くって、逆に思い返せば情けない恥ずかしいことの連続だったですが、後輩の皆さんには是非兵庫県を支えていって欲しい、そうお願いします。
最後に、人を大切にすること、義を通すこと、誠実であることを、ひとりの人間としてずっと心に持ち続けて欲しいです。
そして、筋を通そうとして挫けることがあっても、理不尽な現実の壁に跳ね返されても、諦めないで下さいね。「いつかきっと」と心に念じながら。素晴らしい人にたくさん出会えますように。県民の皆さんの心に残る仕事に出会えますように。
長らくのご愛読ありがとうございました。お世話になりました。おわり。