土合駅462段+24段の階段のぼり。かつて、一の倉の岩場を目指すクライマーの先陣争いが、ここの階段から始まっていたという。今は当時の熱気を感じさせるものは何もない。死者約800、誇ることではないが、ダントツの世界一である。若い人をそれほどまでにして向かわせたエネルギーは何だったのだろうか。
70年代たまたま乗り合わせた上諏訪行き夜行列車で、ギュウギュウ詰めの山男山女に威圧された思い出がある。初冬の南アか八ツに登ろうとする人達だったのだろう。なんせ、小学生のころは探検物の影響で登山家とカーレーサーは事故で人生を終わるものだ、と思い込んでいたのだから。私が山を歩き始めた80年代までは、新宿駅の地下通路に上諏訪行き夜行電車を待つ登山者がぐるぐる巻きに並んでいた。ただ、もう登山者の年齢層は上がっていたように思うが。上諏訪行き電車はとうに廃止され、急行アルプスもなくなり、夜行電車で行こうという登山者はちらほら見かける程度になってしまった。いまの若者たち、なにをしているの?
階段を上がって駅を出ると、絶好の登山日和の空が広がっていた。空気も爽やかである。こういう日の登山は気持ちもゆったりだ。
今日の天気予報は、曇り、雨と日毎に変わったが、前日になって晴れマーク。山行計画者が頑なに?日程の見直しをしなかったことが幸運を呼んだ。私なら予報を見ながらジタバタしていたが。
初めてのメンバー2人を迎えて登り始める。二人もサイクリストと野球部員なので、樹林帯はガンガン飛ばした。
青空に向かって登る。気分の良いものです。背後に白毛門から朝日岳が大きく立ち上がる。
ラクダの背付近から谷川岳を見上げる。左のピークがトマの耳、右側がオキの耳。マチガ沢にはまだ雪が詰まっているが、今年は残雪が少ないという。
遠く、皇海山と足尾の山並み。やまづと結成最初の山行がこの足尾山塊だった。庚申川を溯ったのは、もう十数年前のことになる。時の経つのは早いものです。
右手、武尊山、中央奥が日光白根山。ずーッと左に目を転ずると朝日岳の向こうに巻機山のなだらかな山容が望める。天気がいいと見厭きることがありません。
足元には、もう初夏の花がいっぱい咲いていました。
ラクダの背を過ぎると、岩場をまじえて急な登りになります。樹林帯を急いだので、時間の目途も立ち、展望と花を楽しみながらゆっくり登ることができました。
山頂までもう少し、ガンバレガンバレ!
山頂直下、もう少しで天神尾根と合流です。国境稜線の山々が目に飛び込んでくる。春、マナイタグラで風に吹かれたのは何年前だったか。また行ってみたい。
山頂までダッシュ。多くの登山者で賑わっています。
トマの耳(1963m)からオキの耳(1977m)を見る。あちらのほうが少し高い。
ちょっと腹の出た中年男と若者たち。若々しくていいね。
山頂から、左巻機山と右奥に越後駒ケ岳。右端にはちょこんと荒沢岳も見えていました。
山頂から国境稜線の山々。今度はどんなコースで行ってみようか。
オキの耳からトマの耳を見る。たっぷり休んだので下山を急ごう。
小屋が新しくなって、管理人が常駐しています。山のバッジを3つも買ってしまった。
いつのまにやら、6人掛のゴンドラからロープウェイに付け替えられていました。
終バスに間に合って水上駅前の蕎麦店で打ち上げ。高崎までぐっすり眠りこけました。